龍吟庵(東福寺塔頭)

通常は非公開なのですが、特別公開時にいける東福寺の塔頭、龍吟庵では日本最古、室町時代初期の方丈建築を見ることができます。龍吟庵の方丈は国宝です。

方丈はとても趣のある建築物なのですが、写真はとってはいけないのでここで写真を載せることはできません。応仁の乱以前の名残をとどめており、寝殿造と書院造が融合しています。屋根は杮葺(こけらぶき)で、中央の正面にある「龍吟庵」という扁額は、足利義満の直筆です。ここでしか味わえないというものは京都にたくさんありますが、この龍吟庵もそうです。まさにタイムトラベルした感覚です。

説明員の方に説明していただいたのですが、この龍吟庵は大明国師(無関普門)の住居跡だそうです。大明国師は、正応4年(1291)、亀山上皇が南禅寺を創建するにあたって開山のため招かれた立派な禅僧です。

方丈の南側に広がる南庭は、「無の庭」という、白砂が一面に敷かれた、岩もない単純なものです。白砂の模様も変化がなく、自然の海などを表現しているともいえるし、そうでないともいえるものです。無の境地という心模様なのでしょうか。表門は桃山時代の重要文化財で、無の庭で目立っています。奥の垣根に特徴があって、竹で稲妻を表現しています。なぜなら、あの向こうには「龍の庭」があるからです。そちらに向かいます。

「無の庭」を左手に見ながら、方丈の西側に向かって縁側を歩いてゆきますと、西庭である「龍の庭」に着きます。この龍の庭にある石は、全て龍の体を表しています。白い砂は海、黒い砂は雲を表しています。海や雲の間から巨大な体をくねらせた龍が見えているという構図です。真ん中ほどに龍の頭と角が2本、見えています。この龍は阿波産の青石だそうです。

そもそも龍吟庵の龍とは何なのでしょうか。仏法を守る守護神として、龍がいるということは聞いたことがありますが、この龍吟庵もそうなのでしょうか。大明国師の住居であったのなら、大明国師が自分のことを龍とみなしていたのかもしれません。

方丈の背後には開山堂があり、ここにも足利義満による扁額があります。ここには大明国師像が安置されています。方丈をぐるっと回ってきますと、東庭「不離の庭」があります。説明員の説明によれば、大明国師がまだ子供の頃、熱病にかかって山に捨てられました。山の中で狼に襲われそうになったのですが、それを2頭の犬が守ったと。中央に横たわる石が子供の国師を表し、その両側が2頭の犬、そして周りの6つの石が狼であるとのことでした。砂が赤いのは、赤くなる鞍馬石を用いているからだそうです。

龍吟庵の庭は全て重森三玲による昭和39年の作です。

東福寺の中の3つの橋の中ではたった1つ創建当時の桃山時代から残る偃月橋を渡って帰ります。渓流にはこの時、紅葉したカエデが広がっていました。このような昔から残る文化財は大切に保存されて欲しいと思いました。